俺歴史 その壱

今でこそ、あてゅ・わぁくすで、新米シナリオライターをやっている私ですが、
なんで、こっちの道を志すことになったのか、
処女作マスターアップを前に振り返ってみたり。
わぉ! とっても後ろ向きぃ!


一番最初に小説的な物を書き始めたのは、
忘れもしない中学1年の2学期でした。
きっかけは、小学生の時に自作童話を書いてる女の子がいたことを、ふと思い出し、
「よし! 俺も書いてみよう!」
と、突然思い立っただけなのですが。
当時はパソコンどころかワープロもほとんど普及しておらず、
大学ノート(60ページ)に書き始めたのが全ての始まりでした。
今日これから始まる私の伝説でした。


処女作のタイトルはバッチリ覚えてますが、
あまりにも恥ずかしいので伏せ。
内容もおぼろげに覚えてますが伏せ。
王子やら姫やらの冒険活劇エセファンタジーでした。
当時プレイしてたゲーム(魔界塔士SaGa)が色濃く出てました。
ラスボスが神だったりしました。チェーンソーでは倒せませんでしたが。


んでまぁ、授業中だろうが、休み時間だろうが、帰宅しようが、
誰に見せるあてもないのに執筆作業。
1日にノート1〜2ページ前後、
ノッたときは10ページとか執筆。
じわじわと、自分の手によって話が進んでいく感動を覚えたのは、
もうこの時からです。多分。


60ページの大学ノートが埋め尽くされる、完成を間近に控えたある日。
国語の先生に、この内職が見つかり、ノートを見られました。
「没収されるのかなー」
と思ったけど、ノートはあっさりと返ってきました。
ただし、
「出来あがったら見せるように」
という条件付。
所詮は処女作。
自分の書く物に自信がなく(それは今も大して変わらないんですが)、
見せるのは当然嫌だったのですが、教師相手に拒むわけにも行かず、ノートを渡しました。
つまり、私の作品の最初の読者はその先生だったわけです。


そして、ノートが先生の手に渡り、数日後。
ようやく返してもらった時、
その先生からいくつか感想を頂きました。
「『彼らが何km進んだ』とか、そういう細かい描写はいらないぞ」
と言われたのを、未だに覚えております。


そして、3学期の終業式を迎え。
こんなことやってたから、
3学期期末テストの点は並よりちょい上程度で、
あまり芳しくないはずの通知表。


国語だけはが輝いていましたとさ。


ちなみにそのノートは、今でも俺の机の引き出しの奥に眠っています。


当時は大して意識してませんでしたが、
こうやって書き留めると、わりと美談ですね。
国語の先生には感謝しなくてはなるまいて。